イチオシ事例
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『空間に彩(いろど)りを与える木工所』(㈲山口木工所)
今回のイチオシ事例は
昭和2年に創業して以来、約100年に亘って、
木工一筋で、お客様の想いに応える建具や家具を造り続け、
技術と伝統を武器に、2度の火事にも負けずに成長を続けてきた
木工のプロフェッショナル集団『㈲山口木工所』さんです。
皆様、こんにちは。
支援専門員の野村昌史(のむらまさふみ)です。
今回は、技術と伝統を兼ね備えた木工のプロフェッショナルとして、
先人たちから受け継がれてきた匠の技と、職人一人ひとりが持っている強みと信念を
最大限に発揮する高付加価値の製品作りに挑戦した事例です。
山口木工所のこれまで
明治・大正 創業者の父、山口久四郎が大坪酒造店にて建具や道具類の製造職人として勤務
昭和 2年 初代・山口寅造が現・飛騨市神岡町船津に山口木工所を設立。
昭和 4年 船津大火によって工場・会社をすべて焼失。再スタートを切る。
昭和30年 有限会社山口木工所へ組織変更。
昭和31年 2代目・山口昌平が代表取締役社長に就任。
昭和35年 飛騨市神岡町殿(坂巻)へ工場を移転
平成48年 火事によって工場が半焼。3か月で再建を果たす。
平成 2年 3代目・山口正一が代表取締役社長に就任
平成24年 代表取締役社長に4代目・山口研太が就任
当社は、創業者である初代虎造の父、山口久四郎からはじまりました。
久四郎は、明治から大正にかけて造り酒屋、大坪酒造店にてかかえ大工として、建物や酒づくりの道具、指物を専属に携わっていました。
久四郎の影響を受けて、大工としての道を志した寅造は、久四郎と共に7年かけて大坪酒造店の別邸(岐阜県重要文化財)を完成させた後、大坪酒造より独立して山口木工所を創業します。
創業から2年目の昭和4年に、船津町全域にわたる大火事で工場が全焼しましたが、再び工場を立ち上げ、辛くも事業の再開を果たします。
2代目・昌平に代替わりすると、当時神岡鉱山の隆盛に肖って、神岡町の人口が大幅に増加し、建具の需要が拡大したことで、事業を大きく成長させました。
事業が成長したことで、工場が手狭となり、現在の神岡町殿に工場を移転することになります。
しかし、その後再び火事に見舞われ、工場が半焼。そこから3か月という短期間で工場を再建し、事業を再開させます。
3代目・正一の時代になると、地域内の人口増加も落ち着き、神岡町のお客様だけでは仕事が足りないという状況に陥ります。
打開策として、事業のエリアを飛騨全域に広げ、特に高山市に力を注ぎ、飛騨地区最有力ゼネコン数社との取引を開始し、今でも大切なお客様として、継続しています。
また、正一はアイデアマンでもあり、神岡地域の青年経営者団体の一員として地域の開発や活性化に尽力するようになります。
正一が開発に携わった廃線利用のレールマウンテンバイク「ガッタンゴー」は、今では神岡地域の一大アトラクションとなり、地域再生の決定版ともいえる山口木工所のオリジナル特許商品として、神岡だけではなく、全国の廃線活用の切り札として販売されています。
(レールマウンテンバイク『ガッタンゴー』)
それでも4代目・研太が代表取締役社長に就任した時期には、全国的に少子高齢化が叫ばれるようになり、人口の減少と同時に、業界としても厳しい状況に突入することとなります。
当社の取引先も徐々に減少を続け、承継当時メインの取引先であった大手ゼネコンとの取引がゼロになっています。この状況を打開するため、他社が嫌がるような難しい案件を積極的に選択し、高付加価値の製品づくりを行うことで価格競争からの脱却を図ると同時に、隣県である愛知県の名古屋市エリアへの進出を実現しました。
創業から約100年という歴史に裏打ちされた技術力に、同業他社が持ち合わせていないPR力を武器に、唯一無二の建具屋として日々挑戦を続けています。
縁貼り技術で建築家の想いをカタチに
当社とも付き合いの深い建築家の業界は、デザイン性の高い建築や、意匠にこだわった建築を創り上げることで腕を認められるという厳しい世界であり、彼らの求める水準は日々高度化し続けています。
こういったデザイン性の高い建具は、加工が難しく、高い技術力を要求されるが、納期を長くとれるわけでもないため、同業の建具屋は建築家の案件を嫌う傾向があります。
当社としては、ここに勝機を見出し、“建築家案件専門の建具屋“と呼ばれることを目標に掲げ、どれだけ難易度の高い案件でも技術力を活かして応え続けてきました。
その結果、建築家から相談を受けるなど、頼りにされる関係性を築くことが出来、絶対的な信頼を得ることが出来ています。
建築家と共に、さらなる意匠性の追求を目指している中で、話題に上がったのが、家具扉における『無垢材』に同素材の『縁貼材』を組み合わせ、一体感を演出することで無垢材の素晴らしさを引き立てる“意匠性の革新”でした。
無垢材と同じ素材の縁貼材を貼り付ける場合、素材が持っている木目を合わせて磨き上げる部分に技術力を要することになりますが、この技術において、当社は他社の追随を許さないものをもっていると自負しています。
ところが、当社の技術力をもってしても、若干の隙間が生じてしまうという状況であり、より高度なレベルで意匠性を追求していくには能力不足という状態でした。
この状況を打開し、建築家の想いをカタチにすることが出来れば、当社の信頼はこれまで以上に厚いものになり、業界での生き残りが可能になる。
そう考えて、これまで以上に高度なレベルで、意匠性追求型の家具づくりに挑戦することになりました。
意匠性の追求と短納期対応の両立
ここまで書いてきた通り、当社はこれまで、造り酒屋の大工からスタートした事業を時代の変化に合わせて変化させ、建築家案件専門の建具屋として信頼を獲得しながら成長してきました。しかし、人口減少が著しい状況で、建設業界も厳しい状況となっています。当社が生き残っていくためには、建築家と共に、より付加価値の高い、意匠性に優れた建具を追求していく必要があると考えて今回の挑戦に踏み切りました。これを実現するためには以下3点の課題を解消する必要がありました。
【課題】
■厚さ2mmを超える縁貼りの実現
■無垢材と縁貼り材の間に生じる隙間を0にする
■需要拡大ニーズに応えるリードタイムの短縮
従来の縁貼機では厚さ2mmの縁貼材を扱うのが限界であり、無垢材と同じ素材で2mmを超える製品を扱う場合には職人による手作業での対応をしてきました。これでは対応できる製品数に限りがあるだけでなく、職人一人ひとりの技術力によって品質が左右されてしまう状態であり、意匠性の追求に限界があるという状況でした。
また、従来の縁貼機では無垢材と縁貼材を張り合わせた際、部分的に0.5mm程度の隙間が生じるという問題が発生しており、1枚板が連続しているような美しい製品づくりを実現してきた当社の強みが生かしきれないという問題がありました。
さらに、業界内でも掲載されることが大変なステイタスとして評価を得ることが出来る「新建築 住宅特集」に当社が掲載されたことで、意匠性追求型の家具の製造依頼が増加している傾向にあり、リードタイムを短縮しなければこのニーズに応えることが出来ないという状況でした。
これらの課題を解消し、建築家の想いをカタチにする意匠性の追求と短納期対応の両立を実現するため、令和元年度補正ものづくり補助金を活用して以下の設備を導入しました。
▶SCM製 片面自動エッジ貼り機 K360 T-E◀
全長3メートルのコンパクトボディに必要最低限の機能をギュッと凝縮した省スペース対応マシン。コンパクトでありながら、0.3mmの薄物からローカン等のロール材や最大6mmまでの定尺材も貼れる万能機。
取組の成果
今回の取組みでは、建築家が求める意匠性の高い家具を、高品質・短納期で生産する技術を確立するため、厚み2㎜を超える縁貼材を手作業ではなく機械作業に移行する縁貼機を導入しました。これにより、増加傾向にある意匠性追求型の家具の生産ニーズに応えられる体制を確立することが出来ました。
具体的には、家具扉の製造を行う場合、以前の手作業による生産では、縁貼材の貼り合わせから研磨加工までで扉一枚につき約35分のリードタイムが必要だったものが、約10分と70%以上短縮することが出来ました。
また、従来は厚さ板厚2mm以上の縁貼り材を扱う場合、職人による手作業で実施してきましたが、厚さ6㎜まで機械作業で対応可能となったことで、職人の技術差による品質の違いを無くすことが出来たことはもちろん、家具扉の意匠性を拡大することが出来ました。
さらに、縁貼り作業を実施した際、無垢材と縁貼り材の間に生じていた0.5㎜程度の隙間についても、全ての部位において0㎜となり、手直し作業が不要となりました。これにより、一枚板を切り出して創り上げる家具扉の連続性美が向上しました。
今回の取組みによって、当社がもともと強みとしていた『木そのものが持つ木目を活かす匠の技』にさらに磨きをかけることが出来たため、建築家が求める意匠性追求型家具の生産体制の確立を実現することが出来たと実感しています。
これにより、より付加価値の高い『意匠性を追求した家具』という領域において、同業他社には真似することが出来ない強みを獲得することが出来ました。この強みを活かすことで、建築家との信頼関係をこれまで以上に強固なものにしていきます。
山口木工所のこれから
代表取締役社長 山口 研太 氏
今回の取り組みによって、厳しさを増す建築業界において、当社が成長を続けることが出来た要因となっている建築家案件の対応力をさらに進化させることが出来ました。
設備を導入した年に新型コロナウイルスが爆発的に拡大したこともあり、以前のような対面営業が難しく、PR活動に苦慮していましたが、名古屋市を中心とする東海3県の工務店にPRチラシを送付するなどの活動を行った結果、数件の見積もり依頼を頂いています。
同業他社を含む木工所は、『ものづくりの会社』なので、現場作業の効率を上げることには力を入れていることが多いものの、PR力が圧倒的に弱いという傾向を持っています。
研太氏はこういった業界の課題にいち早く気付き、学生時代から『セールス』について研究を重ねてきました。
こういった経緯から、当社は木工所では珍しく『営業』に力を入れており、様々な媒体、様々な手段を駆使して情報発信を行いながら新規顧客の獲得を続けてきました。
自社のホームページを持っている木工所(建具屋)は2023年現在でも珍しく、ほとんどいません。
新型コロナウイルスをはじめ、材料高や原油高など社会情勢の変化による影響、国内人口の減少による業界の縮小など、厳しい状況は継続しています。
こういった状況を乗り越えていくため、創業から培ってきた技術力と他社にはない営業力を武器に、この先も絶対になくなることが無い『こだわりの建具』に特化し続けることで、唯一無二の建具屋を目指していきます。
匠の地、飛騨で100余年続く、
木工のプロフェッショナル集団。
当社はこれからも、高い技術と意匠性が求められる建築家案件を中心に、職人が一つひとつ命を吹き込んだ建具を作り続けていきます。「お客様の喜ぶ笑顔」のため、100余年の伝統を受け継いだ匠の技でお客様の想いをカタチにします。
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