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建具・家具を作って約60年
今回は、自然豊かな地「七宗町」で建具・家具を作って約60年の「株式会社フクモク」をご紹介します。
ものづくりセンター支援専門員の石井です。
お邪魔してきました。
七宗町(ひちそうちょう)!
目次
創業1962年(昭和37年)の建具屋さん
1962(昭和37)年6月30日
フクモクは、現会長が「福井木工所」として開業。
家具・建具の製造から始まりました。
1986(昭和61)年には住宅部材・特注家具製造を始め、
2008(平成20)年に、住宅事業部を立ち上げました。
まずは、現社長の福井寿典さんの生い立ちを伺ってきました。
いきなりアメリカへ
七宗町の自然の中でスクスク育った福井少年は、小さい頃は三角ベース、小学校低学年の頃はあちこちの広場で野球をされていたそうです。
七宗町の90%は山に囲まれています。
小・中学校を地元で過ごし、高校は岐阜市の学校を卒業。
関東の大学へ。
福井青年は、学生生活をおう歌します。
しかし、そんな楽しい時期がいつまでも続く訳ではなく。。。
就職をしなくてはいけない時期になります。
1990年の事です。
この頃、福井青年はご両親に「恩返しをしなくては」と考えるようになりました。
しかし、いきなりご両親の会社で働くのではなく、一度、修行をして社会人として役に立つ人になってからご両親の手助けをしよう、と考えました。
その想いをお知り合いの方に手紙という形で相談されました。
その方からは、
アメリカに行ってみたら
との助言を頂きました。
当時、飛行機に乗ったこともなく、ましてや英語がしゃべれるわけではない。当然、多いに悩みます。
一人で知らないところに行く。
そこに馴染んで生活する。
その事が自分自身を成長させてくれるのではないか。
福井青年は決心します。
そして、アメリカへ。
新米時代
アメリカには、お知り合いの紹介で製材所に研修生という形で現地の会社に勤務することができました。
場所は、アメリカ。
研修場所は、ウイスコンシン州→ワシントン州→オレゴン州→アーカンソー州。
主にアメリカ北部を2~3か月くらいで渡り歩きました。
木材を扱う工場ですから、当然、田舎町です。
日本人はいません。
英語も話せないので事務所でやれることもありません。
まずは、工場内の清掃から始めました。
そこで、福井青年は様々な事を体験していきます。
やがて、英語にも慣れ、仕事にも慣れ、1年が過ぎた頃。
1991年 湾岸戦争が勃発します。
日本に住むご両親は、戦争がはじまりその片方の当時国であるアメリカに息子がいるのです。
さぞや心配だったのでしょう。
「早く帰ってこい。」
福井青年としては、アメリカでの生活が楽しくなってきたのでまだまだアメリカにいたかったらしいのですが、帰国を決意します。
社長になれ
日本に帰り、「有限会社福井木工(当時の社名)」に就職した福井青年。最初は、現場で製造の事を学びます。
当時、バブルがはじけ徐々に不景気の波が福井青年の周りにも忍び寄ります。
じわりじわりと景気が後退していくとともに、「福井木工(当時)」の業績も思わしくなくなっていきました。
仕事はあるのに、何故?
そう思われていたそうです。
当時は、生産効率を上げて利益が確保できる企業体質に変換すべく、トヨタ生産方式の導入等の工程改善に取り組んでいました。
しかし、毎年得意先からお願いされる5~10%のコストダウン。
全社一丸となって知恵を出し合って、仕事を確保する為、無理な要求にも応えてきました。
やがて、福井青年も結婚し、35歳の時でした。
来期からお前が社長をやりなさい。
唐突なお父様からの言葉。
戸惑いもありましたが、「いつか自分が会社を守っていかなくてはいけない時がくる」と決心されました。
「うちの離れを建ててくれないか」
経営者となった福井社長は、経営の勉強を始めます。
会社の数字に明るくなり、フクモクの経営状況を分析していくと、
同じことを続けていては、いつか会社がなくなってしまう。
という結論に達しました。
そんな時です。
ある公共工事の受注を頂くために「建設業許可」を取得したのですが、その事を知った方から
うちの離れを建ててくれないか
と、言われました。
フクモクが変わっていかないと、いつか会社がなくなってしまう。
そう思っていた福井社長は、このお申し出を受ける事にします。
そして、住宅事業部を立ち上げ、工務店としてスタートします。
2016(平成28)年 「ふくもくの家」に名称変更
2018(平成30)年 美濃加茂市に「ふくもくの家」モデルハウスを建設
多軸ユニットを導入
フクモクが変わっていかないと、いつか会社がなくなってしまう。
福井社長のこの想いは、住宅事業部だけにとどまりません。
フクモクがもっとも得意としている住宅部材・特注家具製造のQCDの向上、そして、その先にはBtoC事業への本格参入も見据えています。
その為に、「平成26年度補正ものづくり補助金」の活用を思いつきます。
補助金を活用して実現させたかったのは、下記の3点です。
- 職人作業の軽減
- 製造工程改善
- より高度な加工技術の実現
その結果、それまでは実現不可能だったより魅力的なデザインと使いやすさを追及した木工製品の製造が可能となります。
そのために、既存のCMCマシンで活用できる「多軸ユニット」を導入されました。
ものづくり補助金で設備を導入した結果、
- 納期の短縮
- QCDの向上
が、実現しました。
BtoC事業を目指して
フクモクでは、導入した設備を既存事業であるBtoBでの活用はもちろん、将来のBtoC事業への本格参入を目指して、独自の商品開発にも取り組んでいます。
こういった商品は、主に、フクモクの社員が企画・デザイン。そして製造までを担当しています。
それまでの顧客からの要望を受けて製造していたのとは違い、フクモクの独自商品を世の中に問う事が可能となりました。
この事は、社員のヤル気につながりフクモクそのもののレベルアップにもつながっていくと思います。
これからのフクモク
フクモクが変わっていかないと、いつか会社がなくなってしまう。
この想いは、いつも福井社長の胸の中にあります。
たまたま機会があって取得していた「建設業許可」が一つの事業部になり、
補助金の活用で、生産効率を上げるとともに社員の活躍の場を広げ新たな市場への足掛かりを固めつつあります。
福井社長のもう一つの想い
私達が関わる全ての人を幸せにする。
この想いに向けて、フクモクは日々成長を続けています。
これからのフクモク。
ますます楽しみな事業者さんです。
最後に。
お忙しい中、取材のご協力頂きました福井社長。
本当に、ありがとうございます。
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